仏教をよりよく知るため:その19

仏教をよりよく知るため:その19

2010.07.04
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仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか

 

キーワード:中道(ちゅうどう)

 

釈迦は出家してから六年間、苦行をしたと伝えられている。当時のインドでは、肉体を痛めつけることによって魂は天界に昇ることができると考えられており、さまざまな苦行を試みる行者がおおぜいいた(現在のインドでもみられる)

釈迦も、断食したり、息を長時間止めたり、睡眠をとらないなど、はげしい苦行をつづけ、ついには、骨と皮だけになって、ほとんど死に掛けるところまでいった。

そのとき、釈迦はハッと気づいたのである。肉体をいたずらに痛めつけたところで、真理に到達できない。かといって、出家前の王宮での快楽に満ちた生活をしていても、やはりだめだ。私は、快楽にも苦行にも偏らない道を進もう。

そう決心した釈尊は、村の娘スジャータのささげた乳粥を食べて体力を回復し、菩提樹の下にすわって禅定に入り、ついに悟りを開いたのである。この釈尊の進んだ道を「中道)という。

世間では中道政治などといって、保守と革新を折衷した行き方の意味などに使っているが、釈尊のいう中道とは、異なるものを足して二で割ることではない。

仏教が他の宗派と大きく異なる点であるが、仏教では、精神と肉体を別々のものとは考えない。身体が健康でなければ、すぐれた精神活動をすることはできないし、精神がしっかりしていなければ身体を健康に保つこともできない。バラモン教やジャイナ教などが肉体と霊魂の二元論に立つのに対し、釈尊は霊肉一致の一元的立場を主張したのである。それが中道の意味である。

釈尊はそれを説くのに次のような比喩を使って説明している。

琴を上手に弾くには、琴の絃がちょうどよい強さに張られていなければならない。絃が強すぎても弱すぎても、いい音色は出ない。

それと同じ様に修行も行き過ぎてはならないし、また怠けすぎてもいけない。ちょうどほどよい努力をつづけるところに、悟りへの道があるのだ。

現代のわれわれに振り返ってみれば、あまり無理をしすぎても、結局いい仕事はできないし、もちろんいいかげんすぎてもダメ。スポーツ選手なども、緊張したらダメだが、かと言って全く緊張感がないと、それもいい成績は出ない。結局、ひとりひとりが、自分に合ったちょうどよい努力のかげんを見つけ出していくことが中道であろう。

2010.7.4 東松山店 杉田

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