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          仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか

 

 

       キーワード:仏陀(ぶっだ)

 

 サンスクリット語のブッダの音訳で「目覚める」 「目覚めた人」という意味である。「如来」「覚者」「智者」などと意訳されている。

 釈尊は三十五歳の時、菩提樹の下で、真理に目覚め(悟りを開き)仏陀となった。したがって、仏教では、本来仏陀といえば釈尊のことであったのだが、大乗仏教だは、釈尊一人ではなく、おおぜいの仏陀を想定するようになった。

 すべての人は仏性(仏と成る性質)を持つとする考え方からである。

 

 

       キーワード:分別(ふんべつ)

 

 

 一般には「もう、いい年齢なんだから、分別をもちなさい」などと、いい意味で使われているが、仏教では、いい意味には使わない。

 「分別」は、サンスクリット語のヴィカルパの訳で、推量的認識やまちがった判断のことで、仏教では、われわれ凡夫の智慧のことをいっている。それに対して仏の智慧は無分別である。

 仏教では、分別に三種ありとしている。

 1、自性分別(眼耳鼻舌身の五志識が対象を識別する働き)

 2、計度分別(対象の差別を推量しはかる働き)

 3、隋念分別(過去のことを追念する働き)

 の三つだ。

 人間は、何かを認識しようとするとき、どうしても、それを他のものと比較してしまう。頭がいいとか悪いとか、背が高いとか低いとか、美人だとかブスだとか、相対的な判断で物を見ているのである。

 しかし、対象そのものは相対化することのできない絶対的存在であって、相対的な区別は単に人間の意識の中にあるにすぎない。

 たとえば、この世に人間はあなたひとりしかいないとする。あなたは、自分が頭がいいとか、背が高いとか、美人だとか言うことができるだろうか。比較するものがないのだから、そんな発想すら、思い浮かばないだろう。実は、世界に人間が何十億いようが、一人ひとりの存在は相対化する(つまり分別する)ことのできないものなのである。

 したがって、仏の眼、悟りの眼から見れば美人は美人として美しく、ブスはブスとして美しい(ことばの矛盾であるが)のである。仏教では、そうした物の見方を「無分別」と言って、たいせつにしていることを知っておきたい。

 

 

2010.7.16 東松山店 杉田

 

 

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      キーワード:不可思議(ふかしぎ)

 

 ことばで言いあらわしたり、心で推しはかることのできないことを「不思議」とか「不可思議」という。

サンスクリット語では、アーチントヤという。仏の悟りの内容は倫理で説明することはできないということである。そのため、「不可思議」を使って仏の悟りの境地や智慧・神通力などの形容詞に用いている。

『華厳経』や『維摩経』を「不可思議解脱経」と称し、阿弥陀仏を不可思議光如来とも呼ぶ。

 西洋の宗教と仏教が根本的に違うところは、不可思議というこのことばにもよくあらわれている。

 西洋では、まず、「はじめにことばありき」とする。つまり、すべてのものは神が創造されたのだから、神の意志でないものはひとつもない。神にとって説明不可能なものは、あるはずがないのである。

(この発想から西洋の科学文明も発達したと言っていい)

 それに対して、仏教では、すべてのものは「空」としてあるのだから、それは認識したり、ことばで説明できるものではないとする。だから、それを「妙」ともいう。うまく説明できないことを、一般にも「妙だ」と言うが、その妙が不可思議と同じ意味を持つ。

東洋では人間の思考や認識の限界をよく知っていたわけで、そこから、自然に対する謙虚な見方をはぐくんだとも言えよう。

 

2010.7.10 東松山店 杉田

 

参考文献「仏教と仏事のすべて」

 

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     キーワード:般若(はんにゃ)

 

 般若と聞くと、恐ろしい鬼女の面を想像されるかたが多いだろうが、これは原意とは関係ない。般若坊という名前の面打ちが女性の嫉妬を表現して、眼をかっと開いた面を作ったから般若面と呼ばれているだけだ。

 「般若」は、サンスクリット語のプラジュニャーあるいは俗語形であるパーリ語のパンニャーの音訳語である。慧智とか根本智と意訳されている。つまり、仏教の教える悟りの智慧のことである。

 その智慧の具体的な内容については、『般若経』と呼ばれる一群の厖大な大乗経典にくわしく説かれているが、そのエッセンスをまとめたのが、よく知られている『般若心経』という句でよく知られているように、般若思想とは、結局、この世界のすべてのものが「空」であるということである。

 

 

     キーワード:彼岸(ひがん)

 

 迷いの多いこの世界を此岸(しがん)というのに対して、迷いを離れた悟りの世界を彼岸という。日本では、春分・秋分の日を中日とするそれぞれ前後一週間をお彼岸と称して、お墓参りなどをする期間とさえている。

 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように四季のはっきりしている日本においては、彼岸は一つのくぎりでもある。春分と秋分の二季には、太陽が真東から上って真西に沈むところから、太陽崇拝と西方極楽浄土往生の信仰が結びついてできた行事であろうとされているが、これは日本独自のものである。

 彼岸の語源はサンスクリット語でパーラミターといい、「到彼岸」と訳されたのを省略したものである。漢訳仏典では、そのまま「波羅蜜多」と音訳されている。別項で説明した「波羅蜜」と同じことばである。

 黒人霊歌などによく出てくるヨルダン河などもそうであるが、河の向こうに(あるいは海の向こうに)理想の国があるとする考えは東西を問わず、古代からあったようだ。もちろん、現実の河というより、人間の心にひそむ永遠のロマンに近いものであろう。けっして渡ることができないからこそ、永遠のあこがれなのである。

 

 

2010.7.9 東松山店 杉田 

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      キーワード:念仏(ねんぶつ)

 

 仏様を心に念じることである。サンスクリット語ではブッダーヌスムリティで「隋念」と漢訳されている。

 阿含経典においては、「念仏」は十念の一つに数えられた。念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天(天界をおもう)念体息、念安般(出入息を念ずる)念身非常、念死である。

 中国において浄土教が大成されて、「口称念仏」が行われるようになった。「南無阿弥陀仏」の六字の名号を唱えることである。

阿弥陀仏の姿や名号、あるいは極楽浄土のありさまなどを心の中に思い浮かべて唱えるのである。

 浄土教では、一心に念仏を唱えれば死後、阿弥陀仏の極楽浄土に往生できると説く。

 

     キーワード:波羅蜜(はらみつ)

 

  迷いの世界である此岸(この世)から理想の仏の世界である彼岸に到達することをいう。サンスクリット語ではパーラミターというのを音訳したことばで、意訳すると「究竟」「到彼岸」「度」などと訳されている。

 さて、それでは、いったいどうしたら彼岸に渡ることができるのであろうか。

 大乗仏教では、そのために六種の努力目標を掲げている。それを六度とか六波羅蜜という。

1、布施(惜しみなく施すこと)

2、持戒(規律を守ること)

3、忍辱(耐え忍ぶこと)

4、精進(努力すること)

5、禅定(精神を集中すること)

6、智慧(迷いを離れた大いなる知恵をもつこと)

 の六つの実践特目である。この中の智慧をさらに四つに開いて十波羅蜜という場合がある。「方便・願・力・智」である。

 大乗仏教では菩薩を理想とし、自分だけでなく、すべての人々を彼岸に渡そうというところに眼目がある。

この波羅蜜は、そのためのたいせつな実践行なのである。この徳目の特徴は、自分自身のことを考える前に、まず、周りの利益を考え、与えることから始まっている。現代人の考え方とは違い、徹底した利他行なのである。

 しかし、他人の利益ばかり考えていると、自分が生きていけないではないか。まず自分の利益をきちんと確保して、それから、余裕があるとき人助けをしたほうがよい。そう考える人も多いだろう。西洋的個人主義ではそうかもしれないが、仏教の考え方は違う。

 「自利利他一如」、つまり、他人の利益をはかることは同時に自分の利益だというのである。仏教は一方的な自己犠牲は説かない。それは、かえって自己満足に陥りやすいからである。だれだってお金に困っているときにポンと現金がもらえたら、うれしいに決まっているが、かといって、もし、その人が自分のために一文無しになって飢え死にしてしまった、とする。いい気分はしない。あと味が悪いというか、むしろ、自分にお金をくれないほうがよかったと思うだろう。

 相手に精神的負担を感じさせるような施しは「布施」にならないと仏教では考える。

 だからこそ「自利利他一如」でなければならないのだが、かといって、最初から他人の利益と自分の利益を半々に考えてすればいいかというと、そうではない。

 仏教の教えは常に逆説的に響くのだが、自分の利益はいっさい考えず、手放しで他人の利益をはかったときに、初めて、それが、「自利利他一如」に成っているのである。

 この布施行が六波羅蜜の第一番目におかれている意味をよく考えてみたい。

 

2010.7.6 東松山店 杉田

 

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    キーワード:中道(ちゅうどう)

 

 釈迦は出家してから六年間、苦行をしたと伝えられている。当時のインドでは、肉体を痛めつけることによって魂は天界に昇ることができると考えられており、さまざまな苦行を試みる行者がおおぜいいた(現在のインドでもみられる)

 釈迦も、断食したり、息を長時間止めたり、睡眠をとらないなど、はげしい苦行をつづけ、ついには、骨と皮だけになって、ほとんど死に掛けるところまでいった。

 そのとき、釈迦はハッと気づいたのである。肉体をいたずらに痛めつけたところで、真理に到達できない。かといって、出家前の王宮での快楽に満ちた生活をしていても、やはりだめだ。私は、快楽にも苦行にも偏らない道を進もう。

 そう決心した釈尊は、村の娘スジャータのささげた乳粥を食べて体力を回復し、菩提樹の下にすわって禅定に入り、ついに悟りを開いたのである。この釈尊の進んだ道を「中道)という。

 世間では中道政治などといって、保守と革新を折衷した行き方の意味などに使っているが、釈尊のいう中道とは、異なるものを足して二で割ることではない。

 仏教が他の宗派と大きく異なる点であるが、仏教では、精神と肉体を別々のものとは考えない。身体が健康でなければ、すぐれた精神活動をすることはできないし、精神がしっかりしていなければ身体を健康に保つこともできない。バラモン教やジャイナ教などが肉体と霊魂の二元論に立つのに対し、釈尊は霊肉一致の一元的立場を主張したのである。それが中道の意味である。

 釈尊はそれを説くのに次のような比喩を使って説明している。

 琴を上手に弾くには、琴の絃がちょうどよい強さに張られていなければならない。絃が強すぎても弱すぎても、いい音色は出ない。

 それと同じ様に修行も行き過ぎてはならないし、また怠けすぎてもいけない。ちょうどほどよい努力をつづけるところに、悟りへの道があるのだ。

 現代のわれわれに振り返ってみれば、あまり無理をしすぎても、結局いい仕事はできないし、もちろんいいかげんすぎてもダメ。スポーツ選手なども、緊張したらダメだが、かと言って全く緊張感がないと、それもいい成績は出ない。結局、ひとりひとりが、自分に合ったちょうどよい努力のかげんを見つけ出していくことが中道であろう。

2010.7.4 東松山店 杉田

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    キーワード:四諦八正道(したいはっしょうどう)

 

 

 釈迦が菩提樹の下で悟られた内容は「四諦八正道」として説かれた。

四諦は四聖諦といって、人生の根本問題とその解決に関する四つの真理ということである。

1、苦諦(現実の苦悩)

2、集諦(苦悩の原因理由)

3、滅諦(苦のない理想の状態)

4、道諦(理想への手段方法)

の四つである。

 四聖諦の道諦の内容は八正道といわれている。

1、正見(正しい見方)

2、正思惟(正しい考え方)

3、正語(正しい言語的行為)

4、正業(正しい行い)

5、正命(正しい生活)

6、正精進(正しい努力)

7、正念(正しい意識)

8、正定(正しい禅定であり、精神の安定)

の八つである。

 この四諦の教えは、ちょうど医者が病人を治療するやり方によくにている。

まず、病気が何であるか正確に診断する。(苦諦) 次に病気の原因を突き止める。(集諦)患者にとっていちばん健康な状態を考える。(滅諦)最後に、処方箋を書き、治療法を示す。(道諦)

はるか二千五百年余も昔に生きた釈尊の、この合理的な思考には驚くばかりだ。

 

 

 

    キーワード:慈悲(じひ)

 

 

 すべての人々を救済しようというのが仏教の大きな精神である。慈悲はその根幹をなしている考え方だ。「慈悲」は、「慈」と「悲」を組み合わせたことばである。慈はサンスクリット語のマイトリーで、「友」を意味することば『ミトラ』からつくられている。

すべての人々に友情・思いやりの心を持つ事である。「悲」はカルナーで、原義は「うめき」である。人生苦を味わった者のみが同感、同苦の思いやりの心を持つ事ができるのだ。

 一般的には、「慈悲心」といえば、「あわれみ」の意に用いる事が多い。「どうか、お慈悲を」というように慈悲の請求のことばが多い。

 しかし、慈悲とは、他人に求めるものではなく、自分が他者の気持ちをどこまでも深く理解し、何をしてあげられるだろうかと考えることから始まる。

 見返りを求めず、自分に何ができるだろうかと考えるとき、慈悲は、その人に限りない生きる勇気と意義を与えてくれるものなのだ。その意味では慈悲の心を持つという事は、他人のためばかりでなく、自分を最も幸せにする道でもある。

 

2010.6.25 東松山店 杉田

 

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       仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか  

 

    キーワード:止観(しかん)

 

  仏道を修行する一方法である。止というのは、サンスクリット語ではシャマタといい、心を練っていっさいの外境や妄想に動かされないで精神を集中することである。観はサンスクリット語ではビパシュヤーナといって、心を統一して正しい智慧を起こして対象をよく見ることである。

 この止観をたいせつにしたのは中国の天台大師智顗である。彼は坐禅こそ万行のもとだとして、止観を坐禅の内容として説いたのである。代表作としての、「摩訶止観」は有名である。

 天台宗では止観業として発展させ、それが最澄の比叡山門下から、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らの諸宗を生み出すもとになっているのである。

 波立っている水面には、物はゆがんでしか映らないのと同じように、いつも動揺している心には正しく物事は見えてこない。

 大事な場面に直面したときなどは、特に心を平静に保つ事が重要であるが、そのいちばん簡単で効果的な方法は、深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出すことを何回かつづけ、その呼吸に意識を集中させることである。

 

 

 

      キーワード:地獄(じごく)

 

 地獄、餓鬼、畜生のことを三悪道というが、地獄はその中で最低の世界で、生前、悪業・罪過が最もひどかった者がここに堕とされ、あらゆる苦しみを受けるとされる。経典によればセンブ州というところの地下二万由旬(由旬は古代インドの距離の単位:一由旬は10キロメートル)約20万kmの鉄囲山という山のふもとにあるという。

 サンスクリット語ではナカラという。自分の行った悪業によって赴く地下の牢獄のことなのである。経典によって説き方はさまざまだが、主なものに十六地獄がある。八大熱地獄と八大寒地獄だ。

 仏教の地獄は有期刑だ。いつかは必ず、仏様が救済してくれると説かれている。

日本では源信が「往生要集」にくわしく地獄の様子を描写してから、地獄絵などが広く普及したが、地獄に対する恐怖心をあおり、悪い行いをしないようにと説く方便として使われてきたようだ。

 現代では、地獄をそのまま信じる人はいないだろうが、被爆直後の広島・長崎などのありさまは、まさに地獄そのものであったろうし、人間が作り出す地獄は、おそらく仏教の説く地獄よりははるかに多く、悲惨なものであるらしい。

 

 

2010.6.22 東松山店 杉田

 

参考文献「仏教と仏事のすべて」

 

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    キーワード:戒律

 

 

 戒と律はもともと別のことばである。戒はサンスクリット語でシーラといい、規律を守ろうとする自発的な心の働きである。律はビヤナといい、罰則を含む他律的な規範をいみしている。

 釈尊は最初から、戒律の条文を制定したのでなく、教団の中に不都合を起こすものがあるつど、それに応じて定められていった。このことを、「隋犯隋制」という。

 戒には在家の戒と出家の戒がある。

在家の場合には一般的に次の五戒が与えられる。

一、 不殺生‥‥‥生き物を殺さない

二、 不偸盗‥‥‥盗みをしない

三、 不邪淫‥‥‥不倫をしない

四、 不妄語‥‥‥うそをつかない

五、 不飲酒‥‥‥酒を飲まない

 出家には本来、男僧(比丘という)の場合は二百五十戒、尼僧(比丘尼という)の場合は三百四十八戒もの戒が与えられていたが、現在の日本の僧侶には、在家とほぼ同内容の戒しかなく、結婚し一般人と変わらない家庭生活を営んでいる。これは世界の仏教国の中で日本だけの現象である。

それはともかくとして、私たち一般人にとって仏教の戒とはどういう意味があるのだろうか。職業によってはどうしても守れないこともある。漁業や牧畜業の人は、やがて殺されることを知りつつ魚をとったり、肉牛を太らせるわけで、不殺生戒にもとる。医者がガン患者にガンではありませんよ、とうそをつくのは不妄語戒に犯しないか。結婚式の三々九度でお酒を飲むのはどうなのか。ラブホテルの従業員は不邪淫を破る手助けをしていることにならないか。

 ユダヤ教やイスラム教の人たちが、現在でも厳格に戒律を守るのに対し、日本人は戒律に対する観念をほとんど持っていない。日本人特有のホンネとタテマエの使い分けがここでも見られるわけだが、こうしたあいまいさが、国際的には不気味な国民と見られる一因にもなっている。

日本人は自分の信念を持たなくとも、周りがするようにしていればよいという傾向がいまだに強いが、これからの国際社会になると、自分はどういう宗教的信念、行動基準を持っているかをはっきりさせる必要が出てくるだろう。

 戒律をどう受け止めるかは、私たち一人一人の生き方を確認するための、一つのリトマス紙でもある。

 

 

     キーワード:加持祈祷

 

 

 一般的には現世利益を願っておはらいをしてもらうことを加持祈祷といっているが、厳密には、加持と祈祷はとは意味がことなる。

 加持は「お加持する」ともいうが、サンスクリット語のアディスターナの訳で「所持」とか「護念」という意味である。

 真言密教では、手に仏の印契「指を組み合わせて作るサインのようなもの)を結び、口に真言を唱え、心も仏の心境になるようにすると、そこに仏の側から、行者を仏の位に導く力が加わると説く。

 祈祷はこの加持の状態に自分を導き入れるために祈ることである。

 したがって、加持祈祷とは、密教の行者が仏と一体になる(即身成仏)ために、真剣に仏をまねて行う修法なのであるが、どうも一般には、迷信くさいまじないのように受け取られている向きもある。

 しかし、これは迷信ではない。たとえば、あなたがある作家のファンで、自分もいつかは彼のような小説家になりたいと真剣に思っているとする。するとおそらく、あなたは部屋に彼の著作を並べ、写真を飾り、彼が使っているのと同じ種類の万年筆を買ってきたり、彼のしゃべり方をまねてみたり、彼が好きだと言う銘柄のタバコを吸ったりウイスキーを選んだりするに違いない、つまり、まず目ざす者のやることなすことをまねることから始まって、やがてその道に入っていくことは一般によくあることである。

必ずしもそれで希望がかなえられる保証はないが、それを愚かな行為だと笑うことができるだろうか。その作家はあなたに何もしていないにもかかわらず、あなたの生き方に大きな力を与えているし、実際、彼に引っぱり上げられているのだといってもよい。それが加持という力である。あとは、あなたがどこまで努力を持続できるかである、人間だれしも心弱くなることもある。そのときは、祈ることが勇気を与えてくれるだろう。仏教でいう現世利益とか、奇跡とは、このようなものである。

加持祈祷は迷信ではない。

 

2010.6.13 東松山店 杉田

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    キーワード:回向

 

 

 回向はサンスクリット語のパリナーマの訳で、「あまねく振り向ける」という意味である。

仏教では、自分の行う善行・功徳を他人に振り向けよい結果をもたらすことをいう。死者のために読経をしたり、念仏を唱えたりすることを回向というのは、仏事法要を営む功徳によって、死者の安らかな成仏を願うものである。

 回向は、自分から他に振り向けるということと同時に、他から自分に振り向けられるという面もある。

私たちは、他人から受けた親切はすぐ忘れてしまって、自分がしてあげたことばかり覚えている事が多い。人間はひとりで生きているのではない。気がつかなくても、多くの人の善意に支えられ生かされているという事実を忘れないようにしなさいということばでもある。

 

    キーワード:縁起

 

 因縁生起の略である。

主たる原因と間接条件である縁によって生じたものを意味している。仏教では、次のような表現をしている。

 「これが存在すれば、あれも存在する。

 これが生ずれば、あれも生ずる。

 これが存在しなければ、あれも存在しない。

 これが滅すれば、あれも滅する」

 というように、すべては相互に依存し合って存在するもので、単独に存在するものはないということを示している。

サンスクリット語ではプラティーティヤ・サムウトパーダといい、互いに依存して生起するということだ。 たとえば、一本の花が咲いている。このためには、まず花の種子がなければならない。それが「因」である。しかし、種子だけでは花は咲かない。適当な水分、光、肥料などの条件がそろわなければ発育しない。その条件が「縁」である。

 人間で言えば、いくらよい素質を持って生まれてきても、家庭環境や教育や友人や本人の努力や、さまざまな条件が整わなければ才能は花開かない。たとえ、ノーベル賞をとるほど成功したとしても、自分の才能だけではない。多くの「縁」の助けによって、今の自分があるのだという謙虚な考え方が必要であろう。

 逆に、殺人などの罪を犯した人があったとしても、その人の責任だけではない。犯罪に追いやったさまざまな「縁」があったのであり、その縁を変えることができなかった私たち一人一人の責任でもあるのだ。

 一般的には、「縁起をかつぐ」「縁起がいい」「縁起が悪い」「縁起直し」「縁起物」など使われているが、縁の生かし方しだいで、私たちの人生は、幸福にも不幸にもなりうるのだから、しっかりとした自覚を持って生きることが大事であろう。

 

 

    キーワード:往生

 

 私たちの住んでいる世界のことを娑婆世界(がまんする所)というが、それよりもすぐれた「極楽浄土」「兜率天」「瑠璃光浄土」「捕陀落山」などの仏・菩薩の国土に死後生まれ変わることを往生という。

 浄土教では、「臨終の一念」といって、正しい信仰を持って死の瞬間に臨むことがたいせつだと教えている。だから、臨終の場において、正しい信仰を持ってないのを「往生際が悪い」と言う。そこから、どたん場になってあきらめの悪い事を言うようになったのである。

 一般的には、閉口すること、どうしようもなく困り果てること。死ぬこと、あきらめておとなしくなることなどの意味で「往生する」と言っている。よりよい所に往って生まれるのだからいい意味なのだが、死のイメージと結びつき、あまりいい意味に使われていないようだ。

ともかく、人間は必ず死ぬのである。そのときにジタバタしてもおそい。日頃から、生きること、死ぬことは何なのか、深く考え、その自覚にもとづいた日常生活を送ることが、ほんとうの往生であろう。

 

2010.6.12 東松山店 杉田

参考文献「仏教と仏事のすべて」

 

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      仏の智慧は、私たちに何を教えてくれようとしているのか

 

    キーワード:阿羅漢

 

 十六羅漢像や五百羅漢像を拝観したことがあるだろう。どの顔も、なんのとらわれもない、自由で闊達な雰囲気をかもし出す。昔から亡くなった親や小の顔を羅漢像の中にさがし求めたという。

 この「羅漢」と「阿羅漢」は同じ意味だ。羅漢は阿羅漢の「阿」を省略した形である。サンスクリット語のアルハンの音写語で「供養を受けるに値する人」を意味している。仏の敬称の中に「応供」というのがあるが、この阿羅漢をさす。この尊称は、仏教だけでなく、他のインド諸宗派でも聖者の意として用いられた。特にジャイナ教では、アールハタとも呼ばれている。

 大乗仏教では、菩薩を理想像とするため、阿羅漢は小乗仏教の聖者をさして使われている。

 つまり、菩薩は自分だけでなく、他の人々をも悟りに導くのを修行としているのに対し、阿羅漢は自分だけの悟りを求める独善的な修行者であるとして、批判したのである。しかし、いくら大乗仏教の理想はすばらしいといっても、ろくに修行もしないで、他人を救うことはできない。

いっしょに溺れてしまうことにもなる。世の中にも、やたら他人にお説教したり世話をやきたがる人が、かえって、それが相手のためにはならず、自己満足に終わっているケースも多い。そのあたりを禅宗では、「脚下照顧」、(自分の足元を見つめなさい)と言って注意していることも知っておきたい。

 

 

    キーワード:因果

 

 物事を生じ起こす原因と、その結果のことである。

 仏教では、「因果応報」という考え方があって、すべてのものについて、過去・現在・未来の三世にわたって常に因果の法則が支配しているという。善因には善の果報があり、悪因には悪の因果があるというのである。一般に「因果」ということばは、どちらかといえば、悪因悪果というような悪いほうの意味にとられ、宿命論のような感じをいだかせている。「因果なやつ」といえば悪いことばかり起こす人という意味だし、「因果を含める」といえば、しかたないものとしてあきらめさせることである。

「親の因果が子に報い」、「因果な商売」などとどうも「不幸な状態」の響がある。

 しかし、本来、因果は宿命論ではなく、今現在の行いによって未来が変わっていくのだから、積極的に今を生きなさいと教えるものである。毎日、夜おそくまでつきあいで飲み歩いたサラリーマンが、ついに病気で倒れたとする。それを運が悪いなどとグチをこぼしても始まらない。健康でいたければ、健康でいられるように一日一日を大切に過ごしなさい。今現在のあなたの行い(因)が明日を決定(果)するのですよ。というのが因果の教えである。

 

 

2010.6.11 東松山店 杉田

 

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